古典文学Graphics

竹取物語

水を汲むうかんるり。

うかんるり

五人の求婚者。
「いま一人には」の謎。

 蓬莱(ほうらい)の山にある玉の枝を持ってくるようかぐや姫に求められたくらもちの皇子(みこ)は、鍛冶工にそれを作らせる。それを得るために経験したという偽りの冒険譚の中で、皇子は、蓬莱の山で銀の鋺を持って水を汲む、うかんるりという女性に会う。小-竹取物語-p32

画像について

 くらもちの皇子が蓬莱の山で会ったという、うかんるりの姿です。しかし、彼が竹取の翁に語ったことは全て作り話なので、実際にこの女性を目にしたわけではありません。

 うしろには、かぐや姫の望んだような木が生えています。くらもちの皇子がたいそう劣っていた小-竹取物語-p33と言っているように、蓬莱の山では、それほど珍しいものではないのかもしれません。

こんな風に考えました

想像の中のうかんるり

 うかんるりは、くらもちの皇子の作り話の中に出てくる女性です。

 その話は、かぐや姫の望んだ品を手に入れたことに真実味を持たせるために語られたものです。くらもちの皇子はたいへんに想像力に富んだ人物なのでしょう。その内容は一大冒険譚ともいえるものになっています。

 彼がうかんるりを登場させたのには理由がありそうです。

 目的地の蓬莱の山がどこにあるのか、彼は知りません。自分のたどり着いた場所が蓬莱の山であることを告げてくれる人物が必要だったのです。それが、うかんるりです。

 もし直接かぐや姫に話すのであれば、わざわざ別の女性を登場させることはないでしょう。しかし、話す相手は竹取の翁です。より興味をもってもらえるよう、天人のような女性を出してきたのでしょう。

三人目、そして最後の男

五つの難題

 くらもちの皇子を含め五人の男たちが、かぐや姫に結婚を迫り、難題を出されています。彼女は、手に入れるのが困難な品物を持ってくるよう求め、それを見せてくれた者と結婚するというのです。それについてまとめてみます。

 人名品物結果
(1)石作(いしつくり)の皇子仏の御石の鉢山寺で入手。偽物。
(2)くらもちの皇子蓬莱の山にある、根が銀、茎が金、実が白玉の木の枝鍛冶工が製作。偽物。
(3)阿倍御主人(あべのみうし)唐土(もろこし)にある火鼠の皮衣(かわぎぬ)唐土にいる者から買う。偽物。
(4)大伴御行(おおとものみゆき)龍の頸(くび)にある五色に光る玉入手できず。
(5)石上麿足(いそのかみのまろたり)燕の持っている子安貝入手できず。

 以下、わかりやすいように、表の先頭にある番号で人物を表すことにします。

奇妙な記述

 奇妙な記述があります。かぐや姫が五人の求婚者に難題を提示する場面です。原文を引用します。

かぐや姫、石作の皇子には、「仏の御石の鉢といふ物あり。それを取りて賜へ」といふ。くらもちの皇子には、「東の海に蓬莱といふ山あるなり。それに、銀を根とし、金を茎とし、白き玉を実として立てる木あり。それ一枝折りて賜はらむ」といふ。いま一人には、「唐土にある火鼠の皮衣を賜へ」。大伴の大納言には、「龍の頸に五色に光る玉あり。それを取りて賜へ」。石上の中納言には、「燕の持たる子安の貝取りて賜へ」といふ。小-竹取物語-p24

 二人の男たちに難題を割り振った後、まだ三人残っているのにもかかわらず、(3)を「いま一人」と書いているのです。「もう一人」「最後の一人」といった感じでしょうか。五人のうちの三番目の者に使う言葉としては不自然です。

 作者の間違いなのでしょうか。作者は一度書いたきりで読み返さなかったのでしょうか。しかし、これほどの物語を作るためには、しっかりと構想をねり、推敲を重ねたはずです。明らかな間違いをそのままにしておくとは思えません。にもかかわらず、この記述が残されているということは、これが作者にとっては何の問題もなく、自然なものだったと考えるしかありません。

五人の組み分け

 なぜこのような記述がなされたのか、改めて五つの難題の顛末を見てみると、五人の求婚者に、あるまとまりのあることに気がつきます。

 まず、(1)と(2)の人名です。(1)は石でできた鉢を持ってくるので“石作”、(2)は財力にものを言わせて木の枝を作ったので“くらもち(庫持)”となったと思われます。難題に関わる名前を与えられているのですが、これは、実在の人物を思わせる他の三人とは明らかに異なっています。

 また、その結果でも分類ができます。

 (1)と(2)は方法に差はあるものの偽物を入手します。彼らは偽物と承知しながら、かぐや姫にそれを差し出すのです。本物を手に入れる努力はしません。

 (4)と(5)では、求婚者たちは、自ら行動を起こして品物を手に入れる努力をします。偽物でごまかそうなどという気持ちはありません。しかし、手に入れることは結局できませんでした。

 (3)は、唐土にいる者を通して品物を手に入れようとします。偽物を持って行こうという気持ちはありません。そしてそれを手に入れ、かぐや姫に差し出します。しかし、唐土から送られてきたその品物は偽物でした。これは他のどれとも異なった構成であるといえるでしょう。

 難題を解決するのに費やした期間もみてみましょう。

 (1)は三年小-竹取物語-p25、(2)は千余日小-竹取物語-p34とはっきり書かれています。同じだけの年月が経っているということです。

 (4)には明確な年月は記されていません。しかし、龍を求めて旅立たせた家来が年を越すまで連絡してこない小-竹取物語-p44ので、自ら海に出て行くという記述があります。かぐや姫が難題を提示したのがいつかはわかりませんが、長くても一年ほどだということになります。

 (5)にも明確な年月は記されていませんが、物語に描かれた部分だけを見ると、数日間の出来事のように思われます。燕が渡り鳥であることを考えると、もしその時期に燕がいなかったとしても、一年以上時間のかかることはないでしょう。

 (4)と(5)は、(1)と(2)に比べれば、かなり短い期間だといえます。

 (3)については、どれくらいの期間かはわかりません。品物を手に入れるために唐土で捜索が行われたようですが、それに費やされた期間についてはまったく触れられていません。それを知る手立てもありません。その意味では、(3)は他の四つから独立しているといえるでしょう。

二・一・二

 五つの難題は(1)と(2)、(3)、(4)と(5)という組に分けられそうです。二人・一人・二人という組です。この組み分けに注目して改めてみてみると、二・二の組はそれぞれの中で対立した構造を持っていることにも気がつきます。

 (1)の物語は、他の四つと比べても極端に短い内容となっています。それに対して(2)は、長さも構成も、独立した物語として十分成り立つほどの内容だと言っていいでしょう。

 (4)と(5)はかぐや姫に対する気持ちが語られます。(4)は難題の品を手に入れるために死ぬような目にあい、結局、かぐや姫という大悪党めが小-竹取物語-p49と言って、完全にかぐや姫から離れていきます。それに対して(5)は、かぐや姫への強い思いを抱いたまま死んでいくのです。

 それぞれの組の中に対立した部分があるということは、かえってその中がかたく結びついていることを表しています。二・一・二という組み分けがあるのは明らかです。作者の頭の中にはこの組み分けが明確にあったに違いありません。(3)を「いま一人」といっている以上、(3)は独立していなければなりません。二・一・二という組み分けがあると考えないわけにはいかないのです。

組み分け完成

 このような形になったいきさつを想像してみましょう。

 当初、作者の頭の中には、(1)(2)と(4)(5)の物語だけがあったのではないでしょうか。それらは、統一と対立とでまとめられた魅力的なものです。しかし、作者はそれだけでは満足しなかった。最初からかぐや姫をだますつもりで偽物を持ってきた二人と、彼女の望む物を手に入れられなかった二人だけでは、物足りなさを感じるのは事実です。

 そこで、手に入れた偽の品物を本物だと信じていた男を「いま一人」追加したのです。彼を配置する場所としては、(2)と(4)の間が最適でしょう。彼の物語は他の組を合わせた内容を持っており、それらを自然につなぐ役目が果たせるからです。

 これで五人の求婚者が揃いました。しかし、構想の段階から執筆の時まで、作者の中では(3)は常に「いま一人」だったのです。それが奇妙とも思える記述を生んだのです。五人に難題を割り振る際、作者にとっては最後の一人である完全に独立した(3)の時には、その名前を記す必要さえ感じなかったということです。