みそぎ
スサノオの母。
火の神カグツチを産んだことが原因でイザナミは死に、黄泉国(よもつくに)に行くこととなる。イザナキは妻を迎えに行くが、そこは汚れた場所であった。黄泉国から逃げ帰ってきたイザナキは、身の汚れを清めるためにみそぎを行う。
身に付けていた物を脱ぐとそれが様々な神になり、体をすすぐ際にもまた神々が生まれる。そして、左目を洗った時にアマテラスが生まれ、右目を洗った時にはツクヨミが、鼻を洗った時にはスサノオが生まれる。三貴子の誕生である。古事記 上巻小-古事記-p49
画像について
イザナキの鼻を洗おうとしているスサノオの母の姿です。このような場面は古事記にも日本書紀にもありません。ただ、この後スサノオが語る「母」について考えると、どうしてもイザナミ以外の女性の存在を想定しないわけにはいかないのです。
こんな風に考えました
イザナミではない
鼻を洗ってスサノオを産む
黄泉国から帰ってきたイザナキがみそぎをし、鼻を洗った時にスサノオは生まれました。
イザナキは、海原を治めるようスサノオに命じますが、スサノオは泣き叫ぶばかりで、それに従いません。私は、亡き母の国の根之堅州国に参りたいと思って泣いているのです
小-古事記-p55と言うのです。
スサノオの母とは誰でしょうか。スサノオの父はイザナキであり、イザナキの妻はイザナミですから、イザナミが生んだのではないとしても、スサノオの母はイザナミということになります。さらに、イザナミはスサノオの生まれる前に亡くなっているので、「亡き母」と言うのも納得がいきます。
しかし、イザナミは根之堅州国(ねのかたすくに)にはいません。黄泉国にいるのです。イザナミは黄泉津大神(よもつおおかみ)と呼ばれるようになっていますから、根之堅州国に移動したとは考えられません。つまり、スサノオはイザナミ以外の女性を母と呼んでいるのです。
改めて、スサノオが産まれたみそぎの場面を見てみましょう。イザナキの行動について、こう書かれています。
御鼻を洗った時に成った神の名は、建速須佐之男命小-古事記-p53
スサノオの産まれたのが、イザナキが鼻を洗った時だというのは間違いありません。しかし、スサノオが鼻から産まれたとは書かれていません。あくまでも鼻を洗った時なのです。ということは、イザナキが直接スサノオを産んだと考える必要はなくなります。そうなると、やはり女性が産んだと考えるのが自然ではないでしょうか。それがどのような女性かはわかりません。しかし、イザナキのみそぎの場にいたに違いありません。
神が、訪れた土地の女性を妻にすることがあります。スサノオとクシナダヒメ、オオクニヌシとスセリビメ、ニニギとコノハナノサクヤビメなどです。イザナキがみそぎのために訪れた場所の女性を妻にすることは十分に考えられます。
ただ、イザナキが鼻を洗ったとたんにその女性が出産するいうのは不自然です。ここでは、イザナキの鼻を洗った女性がスサノオを産んだということにしたいと思います。その女性は後に根之堅州国に行き、そこで亡くなったのでしょう。
記述はあるか
その女性について書かれてはいるのでしょうか。
スサノオの誕生前に登場する神々は、ほとんどがイザナキとイザナミとの間に産まれています。その自分の子どもたちである神々をイザナキが妻にするとは思えません。
しかし、イザナミだけで生み出した神々ならばどうでしょうか。その神々はイザナキにとっては血縁関係がないわけですから、妻とするのに問題はないでしょう。それは、カグツチを産んだ際のやけどで苦しんでいるイザナミから産まれた神々です。
その神々の中にスサノオの母がいるのでしょうか。もしそうだとすると、アマテラスやツクヨミの母がその中にいる可能性も高くなります。三貴子と呼ばれるアマテラス・ツクヨミ・スサノオは、同じみそぎの場で、同じように産まれているのですから。
ただ、イザナミが産み出した神々は、現代の感覚からすると、とても貴い子を産むのにふさわしいとは思えないのですが。