竹取の翁の物語
さらに考えました
翁は一人
「竹取の翁の年齢は」のページの「翁は七十歳と五十歳」では、竹取の翁が二人いる可能性について考えました。そして、同ページの「どれが正しいか」で、二人の翁が登場することはあり得ないとしました。そうなると、翁が二人いることによって解決できた問題を、翁が一人でも成り立つようにしなければなりません。ここではそれについて考えてみます。
翁の本名
翁の名前について。これはそれほど問題とはなりません。翁の本名は「さぬきのみやつこまろ」なのでしょう。「さぬきのみやつこ」と「みやつこまろ」はそれを省略した呼び名です。
部屋に走り入る翁
翁が、一度入ったかぐや姫の部屋にもう一度走り込むという場面。これは、最初にかぐや姫の目の前にまでは行かなかったと考えれば解決します。
くらもちの皇子(みこ)から手紙のつけられた木の枝を受け取った翁は、それを持ってかぐや姫の部屋に入ります。そこで枝からはずした手紙だけを、几帳の向こうにいる姫に侍女を介してとりあえず渡します。その後で、じっくりと枝を見た翁は、それが姫の求めた物と寸分も違わないことに驚いて、几帳の向こうに走り入るのです。翁のばたばたとあわてた様子を表現しようとしたのかもしれません。
月の王の言葉
月の王の言葉について。原文を引用します。
汝、幼き人。いささかなる功徳を、翁つくりけるによりて、汝が助けにとて、かた時のほどとてくだししを、そこらの年ごろ、そこらの黄金賜ひて、身を変へたるがごとなりにたり。かぐや姫は罪をつくりたまへりければ、かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限りはてぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く。あたはぬことなり。はや返したてまつれ小-竹取物語-p71~72
月の王が、目の前にいる人物を「汝」または「おのれ」と呼び、離れた場所にいるもう一人の人物を「翁」と呼んだ、とも読める記述です。しかし、翁が二人いることはあり得ません。これらの呼び方が全て同一人物を指しているとするには、月の王のものだと考えられているこの発言が、実は別の誰かの発言の混ざったものだと考える必要がありそうです。別の誰かとは何者でしょうか。それは、地の文、つまり物語の語り手と考えるのが自然でしょう。「汝」・「おのれ」は月の王の言葉、「翁」は語り手の言葉というわけです。これをもとに、上記の発言を分割してみることにします。
月の王の言葉を分割する
最初の「汝、幼き人」は月の王の言葉で間違いはないでしょう。
次の「いささかなる功徳を、翁つくりけるによりて」は、「翁」とあるので語り手の言葉です。「功徳」については「みやつこまろ」のページで考えています。ここは、月の王が語ったその内容を、語り手が要約したものと考えていいでしょう。
すると、「いささかなる功徳を」から「身を変へたるがごとなりにたり」までの一文は語り手のものとなりそうですが、途中に「汝が助けにとて、かた時のほどとてくだししを」と、月の王のものと思われる言葉が出てきます。このあと翁は、「『かた時』とのたまふに」小-竹取物語-p72と月の王に向かって言うので、それが月の王のものであるのは間違いありません。語り手の言葉の中に月の王の言葉が紛れ込んだということでしょうか。これについて少し考えてみます。
この部分の現代語訳を引用すると、おまえの助けにしようと、ほんのわずかな間だと思って、かぐや姫を下界にくだしたのだが
小-竹取物語-p72となります。しかし、この発言の内容は真実ではありません。
この後の月の王の言葉からわかるように、かぐや姫が地上に下ろされた本当の理由は、月の世界で罪を犯したからです。翁を助けるためではありません。また、黄金が与えられたのも、「みやつこまろ」のページで考えたように、かぐや姫が高い身分に相応しい生活ができるようにするためです。翁を助けるために行われたことは何もないのです。月の王が「助けにしよう」などと言うはずがありません。
月の王のものではないとすると、これはいったい誰の言葉なのでしょうか。地の文である語り手は真実しか語れません。したがって、月の王でも語り手でもない者の言葉ということになります。
「助け」という言葉に注目してみましょう。かぐや姫や黄金が与えられたことを「助け」と感じたのは誰でしょうか。かぐや姫の存在で心が穏やかになり、黄金によって経済的に豊かになった、翁です。「わずかな間だと思って、かぐや姫を下界にくだした」や、「たくさんの黄金を賜って」小-竹取物語-p72という発言は月の王のものでしょう。しかし、それを「助け」と感じたのは翁です。この場面において、翁以外には「助け」という言葉は使えません。つまり、これは翁の言葉ということになります。「いささかなる功徳を」から「身を変へたるがごとなりにたり」は、月の王の発言を、翁が自分の言葉で改めて語ったものだと考えていいでしょう。
自分の先祖が月の役に立ったことを月の王によって知らされた翁は、姫や黄金がその褒美として与えられたと思い込んでしまったのです。翁はこう考えたに違いありません。「月の王は、『功徳を積んだお前を助けてやろう』と考えたのだな」と。
ところがその後、月の王は、「かく賤しきおのれ」という翁をさげすんだ言葉とともに、かぐや姫が地上に来た本当の理由を告げるのです。月の王たちの登場からずっと張り詰めていた翁の表情が、わずかに安らいだと思ったとたん、再び驚愕に満ちたものに変わるのです。この一文は、そんな劇的な効果を生むために置かれたものなのかもしれません。
分割を続けましょう。次の「かぐや姫は」から「おはしつるなり」までは、「おのれ」とあるので月の王の言葉となります。
その次の「罪の限りはてぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く」は、「翁」とあるので語り手のものとします。
その次の「あたはぬことなり」はどちらともとれそうですが、月の王の言葉とすると、前とのつながりが不自然になるので、語り手のものとします。
最後の「はや返したてまつれ」は月の王のものとして問題ないでしょう。
以上の考え方で、月の王の言葉以外を( )でくくってみます。( )を飛ばして読んでも十分に意味が通じると思います。これならば、翁が二人いたとする必要はありません。
汝、幼き人。(いささかなる功徳を、翁つくりけるによりて、汝が助けにとて、かた時のほどとてくだししを、そこらの年ごろ、そこらの黄金賜ひて、身を変へたるがごとなりにたり。)かぐや姫は罪をつくりたまへりければ、かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。(罪の限りはてぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く。あたはぬことなり。)はや返したてまつれ
誰が語るのか
最初の( )内を地の文ではなく翁の言葉であるとしました。その発言の中に「翁」という言葉が出てきますが、他の場面でも彼は自分のことを「翁」と呼んでいるので、問題とはならないでしょう。
ところで、なぜそこにだけ地の文のようにして翁の言葉が出てきているのでしょうか。他の地の文が第三者的立場で書かれているとしたら、そこだけを翁のものとするのは不自然なことに思えます。しかし、他の地の文が第三者的立場で書かれていなかったとしたらどうでしょうか。この物語の地の文すべてが翁の言葉だと考えることはできないでしょうか。ここでは、この物語の語り手を翁だとしてみます。実は、今まで取り上げていなかった疑問点が、そう考えることによって解決できるのです。
物語の冒頭部に、名をば、さぬきのみやつことなむいひける
小-竹取物語-p17という記述があります。「なむ」によって「さぬきのみやつこ」を強調しているのです。なぜそこで名前を強調したのでしょうか。
しかし、これを語っているのがさぬきのみやつこ自身だとしたら、そうした理由もわかります。彼は聴衆を前に語っているのです。彼は自分の語る物語により真実みを加えたかったのです。物語の登場人物が目の前の翁その人だと知ったなら、聴衆はきっと驚くことでしょう。「何を隠そう、その翁とは、この私、『さぬきのみやつこ』なのだよ」と言って、彼らをしたり顔で見回す、そんな翁の姿が目に浮かんできます。
「竹取の翁の年齢は」のページの「正確な年齢」で考えたように、物語の中の翁の年齢は四七歳から五三歳の間です。翁と呼ぶには少し若すぎる気もします。しかし、さぬきのみやつこが老人になった時に昔話として語っているのであれば、それも不思議ではありません。物語の中の「翁」という言葉は、現在の自分の呼ばれかたを反映したものだと考えられるからです。
このように、翁が自分自身の体験談のようにして人々に語り聞かせる、それがこの物語なのではないでしょうか。たけとりの翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに
小-竹取物語-p18のように、「竹を取る」が重複した記述も、語り口調を意識したものに思えます。
解説小-竹取物語-p81によると、この物語は、「竹取の翁の物語」と呼ばれていたそうです。竹取の翁の語る物語だからなのでしょう。