竹取の翁の年齢は
さらに考えました
翁は七十歳
竹取の翁の年齢は、まず七十歳とされ、次に五十歳と記されます。後に書かれた方が若くなっているのです。作者の間違いなのでしょうか。しかし、「うかんるり」のページで考えたように、作者が間違いをそのままにしておくとは思えません。ここでは、翁の年齢について考えてみます。三通りの考え方ができます。
まず、一つ目。翁の言葉通り、七十歳の場合です。その時に問題となるのは、帝からの使者が翁のもとを訪れる場面です。翁は、かぐや姫が月に帰ることになったのを知って、嘆き悲しんでいます。原文を引用します。
このことを嘆くに、鬚も白く、腰もかがまり、目もただれにけり。翁、今年は五十ばかりなりけれども、物思ひには、かた時になむ、老いになりにけると見ゆ。小-竹取物語-p67
五十歳と書かれているのは地の文です。当然、地の文は客観的な事実が書かれていると考えるのが普通なので、七十歳が正しいとした場合、明らかに矛盾します。では、その部分が地の文ではなかったとしたらどうでしょうか。
上の引用は、新編 日本古典文学全集からのものです。新潮日本古典集成では、もの思ふには、片時になむ老いになりにける
新-竹取物語-p73の部分が使者の心の中の言葉として解釈されています。ここで、もし、「翁、今年は五十ばかりなりけれども」も使者の言葉だとすれば、翁が五十歳だというのは、単に使者の思い込みだということになります。「使者は、『五十歳くらいだろうに、悲しみのせいか、あっという間に老け込んでしまったな』と思った」といった感じでしょうか。すると、使者はなぜ翁を五十歳だと思ったのかという問題になります。
これよりも前、帝が狩りを装ってかぐや姫のもとを訪れた際に、その供の人々を翁がもてなすという場面があります小-竹取物語-p62。今回の使者もその中にいて、そこで翁と親しくなったのかもしれません。年齢をたずねられた翁が、ふざけて五十歳だと言ったのでしょう。
使者は、それを真に受けてしまった。先に引用した翁の様子は、七十歳の老人ならば、それほど不自然ではないでしょう。つまり、この場面は、普通の七十歳の老人の姿を五十歳だと思って語っている使者の滑稽さを描いているのだと考えられます。
翁は五十歳
二つ目は、翁が五十歳の場合です。翁がなぜ自分の年齢を七十歳と言ったのかが問題となります。「みやつこまろ」のページで考えたように、結婚を渋るかぐや姫に、自分がいつ他界するかわからないということを強調したというのも理由の一つでしょう。
ここでは、それに付け足して、もう少し考えてみます。
なぜ七十という数字が出てきたかです。翁が月の王に向かって言った言葉の中に、かぐや姫をやしなひたてまつること二十余年になりぬ
小-竹取物語-p72というものがあります。五十歳の時に授かった娘が二十歳過ぎであるならば、その父親である翁は七十歳過ぎでなければなりません。これが七十という数字の理由でしょう。しかし、ここでは五十歳を正しいとして考えているので、この二十余という年数をそのまま受け入れるわけにはいきません。
かぐや姫は三か月で結婚できるまでに成長しました。仮にその年齢を十五歳とすると、翁が「二十余年」と言ったその時点では、かぐや姫は三十代後半ということになってしまいます。その三年ほど前に宮仕えを求められていますが、それには少し年齢が上過ぎるのではないでしょうか。実際に二十年以上が経過しているわけではなさそうです。
「物語前夜」のページの「小さくされたかぐや姫」で考えたように、かぐや姫はもともと大人だったのです。翁が彼女の実際の年齢を知っていたのかはわかりません。しかし、彼女の外見や話す様子などから、その年齢を推測することはできたでしょう。彼女は見るからに二十歳過ぎの大人だったのです。翁が「二十余年」と言った理由はそこにあったのです。彼女がわずか三か月で成長したのだとしても、翁は、自分が二十過ぎの娘の父親だという意識を常に持っていたのでしょう。彼は、実際の自分の年齢と彼女の見た目の年齢とを足して、自身の年齢を一貫して七十代だとしていたのです。
翁は七十歳と五十歳
最後は、かなり無理のある考えです。ただ、それによって解決できる疑問点がいくつかあるので、あえて記してみます。
それは、七十歳と五十歳の両方の年齢が正しいとするものです。当然、一人の人間の年齢が若返ることはあり得ません。一人の人間でないとすれば、竹取の翁が二人いたということになります。
あり得そうもないことです。ただ、翁が一人では納得のできない描写があるのです。くらもちの皇子(みこ)が、金銀でできた木の枝を持ってくる場面です。
翁は、手紙のつけられたその木の枝を、かぐや姫のもとに持ちて入
小-竹取物語-p29るのですが、その後で、彼は再びかぐや姫のもとに走り入
小-竹取物語-p29るのです。つまり、手紙を持って姫の部屋に入った翁が、もう一度同じ部屋に走り込んでくるのです。翁が二人いたと考えた方が自然です。
他にもあります。物語の後半、月の王が翁に語りかける言葉です。原文を引用します。
汝、幼き人。いささかなる功徳を、翁つくりけるによりて、汝が助けにとて、かた時のほどとてくだししを、そこらの年ごろ、そこらの黄金賜ひて、身を変へたるがごとなりにたり。かぐや姫は罪をつくりたまへりければ、かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限りはてぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く。あたはぬことなり。はや返したてまつれ小-竹取物語-p71~72
これは、月の王が、みやつこまろ、まうで来
小-竹取物語-p71と言って呼び出した翁に語る言葉です。「みやつこまろ」は翁の名前です。
月の王は、始めに翁を「汝」と呼んでいるにもかかわらず、その後すぐに「翁」と言っているのです。一人の人物に話しかけているにしては不自然です。ここは、目の前にいるみやつこまろを「汝」または「おのれ」と呼び、離れた場所にいるもう一人の老人を「翁」と呼んだと考えた方がいいでしょう。そのつもりでこの部分を読むと、不自然さは無くなります。
そもそも翁の名は、最初は「さぬきのみやつこ」と記され、その後では「みやつこまろ」と記されているのです。よく似た名ではありますが、別人とは考えられないでしょうか。
どれが正しいか
まず、翁が二人いるということはないでしょう。そうする必要も効果もありません。作者は、しっかりと構想をねってこの物語を書いているはずです。そのような無駄なことをするはずがありません。ただ、そうすることによって解決できた疑問を、別の形で解決しなければなりません。それについては「竹取の翁の物語」のページで考えています。
七十歳ではどうでしょうか。ここでは前に、帝からの使者が「普通の七十歳の老人の姿を五十歳だと思って語っている」滑稽さを描いているのではないかと考えました。しかしここは、かぐや姫の昇天という最大の山場、そして悲劇的な結末へとつながる場面です。滑稽さを入れる必要はありません。やはり、「翁、今年は五十ばかりなりけれども」は使者の言葉ではなく地の文とした方がよさそうです。
翁は感情も豊かで行動的です。七十歳と五十歳とを比べれば、五十歳とした方が自然に思えます。翁は、本当は五十歳である自分の年齢を、かぐや姫の外見に合わせ、その父親として相応しい七十歳だと言ったのです。
翁とかぐや姫、正確な年齢
もう少し正確に年齢を算出してみましょう。はじめに、物語の中でどれくらいの年月が過ぎたのかを考えてみます。
まず、かぐや姫が成長するのにかかった期間が三か月。その後、男達が彼女に求婚する期間があります。五人の求婚者は、十一月、十二月の雪が降り氷が張るときにも、六月の真夏の太陽が照りつけ雷がはげしく鳴りとどろくときにも、休まずにやってきている
小-竹取物語-p21のです。六月を次の年だとすれば、足かけ八か月ということになります。それにかぐや姫が成長した三か月を加えると、約一年となります。
さらに、五人の求婚者の難題に関する一連の出来事が終わるまでが三年、帝とのやり取りが三年、そのすぐ後にかぐや姫の昇天と続きます。
合わせると約七年です。実際には、最初の求婚期間や難題に関する期間はもっと長かったかもしれません。これはあくまでも最低限の数字です。
さて、これで翁の物語の中における年齢の上限がわかります。かぐや姫の昇天の場面の少し前に、彼の年齢が「五十ばかり」と記されているので、その時点では五十代でなければなりません。物語の始めからその場面までで約七年かかることを考えると、物語の冒頭での翁の年齢が五三歳を超えることはないということになります。
翁の年齢の上限はわかりました。ではどこまで若い設定ができるでしょうか。それにはかぐや姫の年齢を考える必要があります。
彼女の年齢についての記述はありません。しかし、翁が月の王に言ったやしなひたてまつること二十余年になりぬ
という言葉が、もしもかぐや姫の様子を正確に表しているのだとしたら、彼女はその時点で、二十代であったということになります。そして、物語開始時の年齢の上限は、翁の場合と条件は一緒なので、二三歳となります。
さて、前にも述べたように、翁は、かぐや姫と自分との年齢を足して「七十歳をこえ」たと言ったのだと考えられます。すると、かぐや姫の年齢の上限である二三歳との組み合わせが翁の年齢の最も若くなる時ですから、下限は四七歳となります。つまり、翁の年齢は若くて四七歳、どんなに年をとっていても五三歳ということになるでしょう。
かぐや姫の年齢もわかります。翁の年齢との合計が七十ということから考えると、一七歳から二三歳の間となります。