古典文学Graphics

古事記・日本書紀

天石窟戸の前に立つアマノウズメ。

天石窟戸

アマノウズメ、舞う。

 乱暴なスサノオの行動に怒ったアマテラスは、天石窟(あまのいわや)に入り、磐戸(いわと)を閉ざす。世界は闇に包まれ、昼夜の別さえわからなくなった。

 オモイカネは、鳥を鳴かせ、木を飾り立てて祈り、アマノウズメを踊らせる。そして、外の様子を不審に思い磐戸を開けたアマテラスの手をタチカラオが引き、天石窟の外に出すことに成功する。日本書紀 巻第一 神代上 第七段 正文小-日本書紀-1-p75

画像について

 天石窟戸(あまのいわやと)の前に立ったアマノウズメがまさに踊り始めようとするところです。頭には榊の髪飾りを巻き、ひかげのかずらをたすきにして、手には茅(ちがや)を巻いた矛を持っています。

 磐戸は巨大です。アマテラスが巨大だと思われるからです。そのそばでは、タチカラオがアマテラスを引き出そうと身構えています。

 磐戸をドアの形状としました(図1)。引き戸だと、大きく開かれていないかぎり、アマテラスの手をとっても戸に遮られて引き出せないのではないかと考えたのです。手前に開くドアであれば、引かれたアマテラスに押されて自然に開くことでしょう。

図1
図1 開いた状態の磐戸

こんな風に考えました

立ちはだかる磐戸

オモイカネの計略

 オモイカネは深謀遠慮の神です。そのオモイカネが、アマテラスを天石窟から出すために立てた計略の内容を、記述されている順に抜き出してみます。

(1)常世の長鳴鳥を集めて長鳴きをさせる

(2)タチカラオを磐戸のそばに立たせる

(3)榊を根ごと掘り取り、大きな玉、大きな鏡、幣(ぬさ)を掛けて、祈る

(4)アマノウズメ(図2)が茅を巻いた矛を持って踊る

(5)アマノウズメが榊の髪飾りを巻き、ひかげのかずらをたすきにし、庭火を焚き、桶を伏せて、神がかった状態になる

 (4)と(5)はどちらもアマノウズメのことなのですが、文章的に区切られているので別にしました。

 「夜ばかりが続いているはずなのに、なぜアマノウズメは楽しんでいるのか」と、疑問に思ったアマテラスが戸をわずかに開けた時、タチカラオがその手をとって天石窟から引き出します。オモイカネの計略が成功した瞬間です。

 気になる点もあります。もしこれが、アマノウズメを舞台で踊らせるための準備を順を追って記したものだとしたら、その順番が疑問です。

 なぜ鳥を真っ先に鳴かせてしまうのでしょうか。アマテラスを引き出すのはタチカラオなのですから、戸のそばに立った後でなければなりません。また、榊の木をとってきて飾り立てるのは時間のかかることでしょう。順番としては一番最初にとりかかりたいところです。

 これは準備の順番ではなく、実際に行われた事を順に記したものなのでしょう。ここには、アマテラスを天石窟から引き出す困難さが記されているのです。

 オモイカネは、まず常世の長鳴鳥を集めて鳴かせます。太陽が昇ってもいないのに鳥が鳴くのを不審に思ったアマテラスが、自ら外に出てくることを期待したのでしょう。それはある程度は成功したはずです。外の様子をうかがうために戸がわずかに開いたのです。しかし外に出てくることはありませんでした。タチカラオを戸のそばに立たせのは、再びそこが開くことを期待したからです。しかし鳥の鳴き声でそこが開くことはもうありませんでした。

 オモイカネは別の方法を考えます。それが(3)なのですが、これがアマテラスに戸を開けさせるためにどのような効果があったのかは不明です。これも失敗したのでしょう。

 次にアマノウズメの登場です。茅を巻いた矛を手にして踊ります。しかしこれも効果がなかったと思われます。文章がここで区切られているのはそのためでしょう。それでもアマノウズメは諦めません。自分の踊りに反応を示さなかったアマテラスに再び挑む気持ちや、世界に光を取り戻す使命感があったのかもしれません。榊の髪飾りを巻き、ひかげのかずらをたすきにして衣装を改め、神がかった状態になるまで踊り続けます。

 ただここで理解しづらいのが、「桶を伏せて」というところです。ここでは、伏せた桶の上に板を敷いて舞台にしたと考えておきます。そうすることによって足音が大きく響くのではないかと思うのです(図3)。

 この様子を天石窟の中で聞いていたアマテラスは、ようやく戸を開けます。そしてタチカラオに引き出されるのですが、ここで新たな疑問が生まれます。本当にタチカラオの力だけで引き出すことができたのでしょうか。

図2
図2 アマノウズメ
図3
図3 音響効果を考えた舞台

巨大なアマテラス

 前述したようにアマテラスは巨大です。もしアマテラスが他の神々と同じ大きさだとしたら、上記のような手間をかけずに、戸を開けて連れ出してしまえばいいわけです。開けられなかったにしても、普通の大きさの戸であれば、タチカラオのような力自慢の神々が集まれば、それが岩でできていようと壊してしまえたでしょう。しかしそれはできませんでした。それほど巨大で重い戸だったのです。そしてそれを開け閉めできるアマテラスも、やはり巨大だったということです。

 そんな巨大なアマテラスをタチカラオが引き出すことができたのはなぜでしょうか。磐戸も動かせないタチカラオの力では、アマテラスは微動だにしないでしょう。

 こんな記述もあります。二柱の神がしめ縄をして二度とこの中にお還りなさいますな小-日本書紀-1-p78と言うのです。もし本気で戻る気になれば、しめ縄もそのような諫めも役には立たないでしょう。しかしアマテラスはその言葉に従いました。

 アマテラスはいつまでも世界を闇にしているつもりはなかったのかもしれません。なにしろ、イザナキとイザナミは天下の主たる者小-日本書紀-1-p35としてアマテラスを産んだのですから。タチカラオに引き出された形をとりつつ、自らの意思で天石窟から出てきたということになりそうです。

天石窟の中には何が

 磐戸はアマテラスにしか開けられません。それでふさがれた天石窟の中には何があるのでしょうか。

 それについては一切書かれてはいません。ただ、かなり重要なもの、またはアマテラスに関わるものであったことは間違いないでしょう。なぜなら、アマテラスにしか開けられない磐戸は、アマテラスにとって最高の安全対策であるからです。