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古事記・日本書紀

ヤマトヒメと従者たち。

ヤマトヒメ

アマテラスの声を聞く。
天の御柱の使われる時。

 アマテラスの鎮座する場所を探して各地を巡ったヤマトヒメは、伊勢国でそこに居たいというアマテラスの声を聞く。

 やしろが建てられた後、アマテラスは天の御柱を使って、初めてそこに天降る。日本書紀 巻第六 垂仁天皇(二十五年三月)小-日本書紀-1-p319

画像について

 中央の赤い裳をつけた少女がヤマトヒメです。

 アマテラスの祭祀を託されたヤマトヒメは、アマテラスの鎮座する場所を探して各地を巡ります。そして伊勢国で、この国に居たいと思う小-日本書紀-1-p319というアマテラスの声を聞きます。天にいるアマテラスはヤマトヒメだけに聞こえる方法で話しかけたのでしょう。直接天から聞こえてくるわけではないのですが、ヤマトヒメは思わず耳に手をあてています。

 それが垂仁25年のこと。ヤマトヒメは、垂仁天皇が15年に皇后としたヒバスヒメの娘なので、この時点では10歳以下だということがわかります。そのような少女が一人で旅をするとは考えられないので、ここでは三人の従者をつけることにしました。幼いとはいえ女性ですので、従者も女性です。ヤマトヒメの世話はもちろん、いざという時は戦うこともできる優しくて強い女性たちです。

こんな風に考えました

アマテラスの天降りの方法

手段がない

 今までに神々のとった天降りの方法は二つあります。一つは天浮橋を使う方法で、もう一つは天磐船に乗る方法です。

 しかし「オノゴロ」のページでも考えたように、天浮橋はこの頃にはもうありません。それを使って天降ることは不可能です。

 天磐船はどうでしょうか。天浮橋が無くなった後、天降るにはそれを使うしかありません。が、それは危険な方法です。天磐船は、それに乗ってただ落ちるだけのものです。再び高天原(たかまのはら)に戻ることはできません。アマテラスは、イザナキとイザナミが天下の主たる者小-日本書紀-1-p35として産んだ神です。そのような天降りの方法を選ぶとは思えません。

もう一つの方法

 他に方法はあるでしょうか。一つ手がかりとなりそうな記述があります。地上で産まれたアマテラスを、イザナキとイザナミが天に送るという場面です小-日本書紀-1-p36~37。そこでは、天の御柱を伝って天上にお上げ申しあげられたとあります。これを天降りに使うことはできないでしょうか。

 ただ、この記述だけでは、天の御柱をどのように使ったのかがわかりません。確かなことは、産まれたばかりの尊い子を危険な目にあわせることは絶対にないだろうということです。したがって、柱の外側を使うことはあり得ません。柱というからには垂直に近い形で立っているはずですから、たとえ階段状のものが外側にあったとしても、そこを登っていくのは危険すぎます。具体的な形状は思いつきませんが、上昇するための仕組みは柱の内部にあるはずです。

 天の御柱は誰かが造ったものなのでしょうか。天浮橋と同様に、自然にできたものと考えたほうがいいかもしれません。天に行くのが目的であれば、すでにある天浮橋を使えばいいので、さらに同じようなものを造る必要はありません。ただ、天の御柱は特殊な形状をしていた、つまり内部を通って登ることができたのです。その特殊さゆえに貴重であると考え、アマテラスのために使うことにしたのでしょう。

 以来、天の御柱はアマテラス専用となったのです。他の神々がそれを使うことはできません。孫のニニギですら使うことは許されず、少々面倒な天降りをせざるを得なかったのです。

 「天石窟戸」のページの「天石窟の中には何が」で、磐戸の中にはアマテラスに関わる重要なものがあるのではないかと考えました。もしかすると、そこは天の御柱の内部に通じる場所だったのかもしれません。アマテラスにしか入れない場所に、アマテラス専用のものがあるのは自然なことです。の下にある四角いものは、内部に通じている地上側の磐戸です。

図
 天の御柱

一大事業、天の御柱修復

 天は上昇していきます。それからぶら下がった形の天浮橋は、年月とともに、風化したり、自らの重みで落ちるなどしてしだいに姿を消していきます。アマテラスが天降った頃の空の高さは現在と変わらないと思われますので、天の御柱だけが恐るべき高さを保ったまま存在し続けたということになります。

 これは、天浮橋を常に修復し続けたということにはならないでしょうか。天の上昇に伴って途中で切れたり、風雨によって壊れたりしたものを直し続けていたのです。天と地とを結ぶ巨大な柱です。たいへんな技術と労力が必要だったことでしょう。まさに天下の主たる者アマテラスにふさわしいものだと言えます。

 そのようにして保守され続けてきた天の御柱が、今回初めて天降りのために使用されたのです。

たどりつけない天の御柱

 天にまで届く巨大な柱が人間の目につく場所にあるとは考えられないので、陸地から遙かに離れた海上にあると考えるのがいいかもしれません。

 海神の娘のトヨタマヒメが、海路を閉じ小-日本書紀-1-p161たとあります。海路を海流のようなものと考えれば、それを操って天の御柱に人がたどり着けないようにすることもできそうです。

 遠くの海上にあるということを裏付けるような記述が、神功皇后の摂政前紀小-日本書紀-1-p419にあります。新羅を攻めるよう告げた神の名をたずねる場面です。そこで、以下の六柱の神のいることがわかります。

 アマテラス

 ワカヒルメ

 コトシロヌシ

 ウワツツノオ・ナカツツノオ・ソコツツノオ

 アマテラス・ワカヒルメ・コトシロヌシは最初は別の名であらわれるのですが、後にこの三神であることがわかるので、ここではこう呼んでおきます。また、ウワツツノオ・ナカツツノオ・ソコツツノオは住吉三神としてまとめることにします。

 ワカヒルメは、解説小-日本書紀-1-p419によると、アマテラスの子か妹だということです。おそらく、アマテラスと一緒に天降ってきたのでしょう。このことからも、天降りに危険な方法は用いられなかったことがわかります。

 ここで重要なのはコトシロヌシと住吉三神の存在です。

 コトシロヌシは、葦原中国(あしはらのなかつくに)のかつての支配者であるオオアナムチの息子です。フツヌシとタケミカヅチに国を譲るよう迫られたオオアナムチが、私の子に尋ね、その後にご返事いたしましょう小-日本書紀-1-p117と答えているところをみると、コトシロヌシに跡を継がせたように思われます。地上のことについては、コトシロヌシはかなり詳しいことでしょう。

 住吉三神は航海の神で、神功皇后の乗った船を新羅に導きます。その時の様子は、風の神が大風を起こし、海の神が波を起こし、大魚が浮かび上がって船を進めるというものです。それらは船の航行を助けるために行われたことなのですが、荒々しすぎます。並の技術では進むどころかすぐに船が転覆してしまいそうな激しさです。しかし住吉三神はさすがに航海の神です。その船を乗りこなし、たちまちのうちに新羅に到着させたのです。風の神たちは、住吉三神がいたからこそ、そのような荒っぽい方法が使えたのかもしれません。

 コトシロヌシと住吉三神はなぜアマテラスと一緒にいたのでしょうか。二組の神々はそれぞれ陸路と海路に詳しいはずです。天降ったアマテラスを伊勢国に到着させるための道案内をしたとは考えられないでしょうか。住吉三神がアマテラスを船に乗せて海を渡り、コトシロヌシが陸上を伊勢国にまで案内したのです。地上に降りたばかりのアマテラスは、住吉三神のような力のある神でなければ迎えにいけないような場所にいたということになります。それこそが、陸地から遙かに離れた複雑な海流の向こうにある天の御柱というわけです。

 実は、この考えには少々難点があります。日本書紀では、伊勢国が初めてアマテラスの天降った場所だという表現がなされているのです。もしこれに従うと、伊勢国に天の御柱があることになってしまいます。そこで、ここでは、天降りの詳細を省略し、伊勢国に落ち着いたという表現だとしておきます。