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古事記・日本書紀

天磐船

さらに考えました

天磐船で落ちる

 天磐船(あまのいわふね)の磐は岩のことです。ニギハヤヒが天降りする時に乗ってきたと記されています。天を飛ぶ船と岩とはどうも結びつきませんが、隕石と考えればいいかもしれません。

 隕石だとすれば、自由に空を飛び回ることはできません。ただ落ちるだけです。非常に危険な方法ですが、ニギハヤヒは岩の中に入って高天原にあいた穴から落ちてきたのです。それでも、どうやら無事にヤマトの国に着くことができたようです。何らかの安全装置が設けられていたのでしょう。

図1
図1 天磐船
図2
図2 高天原にあいた穴からヤマトの国を見下ろす

天降りには天浮橋

 イザナキ・イザナミに始まり、スサノオ、フツヌシ・タケミカヅチ、ニニギなど、天から降りてきた神の数は少なくありません。

 降りるだけではありません。イザナキとイザナミは天神と会うために高天原に戻り、スサノオは海や山を震わせながら昇っていきます。また、天から地に遣わした神の報告、つまり高天原への帰りを待つという場面もあります小-日本書紀-1-p111

 天地をつなぐものといえば、天浮橋(あまのうきはし)です。神々はそこを通って天と地とを行き来していたのです。

地上に行く唯一の方法

 ニギハヤヒはなぜ天浮橋を使わなかったのでしょうか。

 ニギハヤヒの天降りは、アマテラスの孫であるニニギの降臨から179万2470余年が過ぎています。天の生成とともに天浮橋ができたのはそれよりも前です。ずいぶん長い年月が経ちました。おそらくその頃の天浮橋は、風化したり、自らの重みで落ちるなどして、天から降りるのに使うことはできなくなっていたのでしょう。そこには穴があいたままの場所もあったかもしれません。天と地をつなぐものは、ただその穴だけとなってしまったのです。地上に行く唯一の方法は、堅牢な乗り物に乗ってそこから落ちることだけです。もちろん、再び帰ってくることはできません。

他の神々の場合

 こんな場面があります。東へ向かう神武天皇が難渋している頃、地上を再び平定するようアマテラスに命じられたタケミカヅチが、剣だけを下すという場面です小-日本書紀-1-p203国譲りでは自ら志願したタケミカヅチですが、さすがに片道の天降りはできなかったのでしょう。

 また、崇神天皇の六十年七月の記事に、天から宝を持って降りてきた神について書かれたものがあります小-日本書紀-1-p289。いつどのように降りてきたのか定かではありませんが、もしかすると、ニギハヤヒと同じように落ちてきたのかもしれません。