オノゴロ
天浮橋とは何か。
天になれなかったもの。
天浮橋に立ったイザナキとイザナミは、天之瓊矛(あまのぬほこ)を差し下ろし、国を求めて青海原を探る。その先からしたたり落ちた潮は自ら固まり島となる。それを名付けてオノゴロ島という。日本書紀 巻第一 神代上 第四段 正文小-日本書紀-1-p25
画像について
天浮橋に立ったイザナキとイザナミです。自分達の降りる島を創るため、イザナキが天之瓊矛で潮を引き上げた瞬間です。
服は、まだ裁縫する技術がないので、布を何枚か重ね帯でまとめているだけの単純なものです。
イザナキもイザナミもまだまだ若者です。
こんな風に考えました
天浮橋とは何か
高天原(たかまのはら)の場所
天浮橋が何かを考える前に、高天原がどこにあるのかを考えておきましょう。天浮橋は高天原と地との行き来に使うものなので、その場所は重要です。
文中の記述から、高天原が地上よりも高い場所にあることは確かです。しかし山や雲の上では、神々の姿や高天原にあるものが、何かのひょうしで人間にも見えてしまうかもしれません。高天原はそれらよりももっと高くて、人間には見ることも到達することも決してできない場所にある方が相応しいと思われます。
雲よりも高くにあるものは青空です。日本書紀には、混沌としたものの中から天と地とが分かれていったとあります。天は地と同じようにきちんとした物体として存在しているようです。ここでは青空を天の底の部分が見えているのだとしておきます。青空を大地とした上に高天原があり、そこには山や川や田畑もあって、そこで神々が暮らしているということにしましょう(図1)。高天原の場所については、「高天原と星」のページでさらに考えています。
高すぎる天浮橋
浮橋とは、川に船などを並べてその上に板を置いたものですが、天浮橋が具体的にどのような姿をしているのか、文中からはわかりません。ただ、橋というからには、天と地との間に渡された何物かであるのは確かです。
高天原は青空の上にあるとしました。そこから地まで達する橋です。それがどのような物であれ、驚くべき高さだと言えます。はたして、これをそのまま受け入れていいものでしょうか。あまりにも大きすぎます。
しかし、日本書紀はそれを解決する手がかりをきちんと残してくれています。産まれたアマテラスを天に上げる場面で、天と地とがまだそんなに遠く隔たっていなかった
小-日本書紀-1-p36と書いてあるのです。天と地とは近いのです。天は上昇を続けて、やがて遙かな高みに昇ってしまうとしても、この時点ではまだ地のすぐ上にあるのです。であるならば、天浮橋はそれほどの高さを必要とはしません。現実的な橋が架けられる可能性があります。
天浮橋を架ける
橋を架けるにはその両端をしっかりと固定しなければなりません。天浮橋であれば、天と地それぞれに固定することになります。天の側は問題ないでしょう。しかし、地の側には少々考えなくてはならないことがありそうです。
地の状態がはっきりとしていません。日本書紀の冒頭に、神々は天地ができた後に生まれてきたとあります小-日本書紀-1-p19。これをみると、イザナキとイザナミはもちろん、他の神々もすでに生まれた後なのですから、地もできていると考えてよさそうです。が、その後、その考えはくつがえされます。イザナキとイザナミが青海原を探ってオノゴロ島を創り、いくつも洲(しま)を産むのです。なぜ洲を産んだのか。それは地がまだ整っていなかったからとしか思えません。ここにきて、まともな地の存在を感じられなくなってしまうのです。
これはどういうことでしょうか。つじつまが合いません。そうなってしまう原因としてひとつ考えられるのは、天と地の固まりかたの違いです。天がまずできあがり、地は遅れて定まるところとなった
小-日本書紀-1-p19とあります。この時点では地はまだ固まりきっていなかったのかもしれません。地が定まったとはいっても、混沌というよりは地と呼んだ方がいいだろう、というくらいの状態だったのでしょう。こう考えれば、海のように形の定まらない地が存在したとすることができます。
これが天地に橋を架ける際に問題となるのです。橋の一方を天に固定することはできます。しかし地にはそれを固定する場所がありません。これでは橋は架けられません。
はしごとしての天浮橋
橋の形にこだわらなければ、天地の両方に端を固定する必要はありません。天浮橋をはしごとするならば、上端だけを天に固定すればいいのです。
問題点をあげるなら、そこを下りてくる姿に神々しさがないということです。イザナキとイザナミはこのあと洲を産み、数多くの神々を産み出します。また山や川や草木も産むとあるように、国の成り立ちに関わる非常に重要な神々です。不安定な足もとに目をやりつつ、後ろ向きでそろそろと下りてくるというような姿は、この二神には相応しくありません。やはり堂々と天から降りてきてほしいところです。
天になれなかったもの
そこで、もうひとつ天浮橋の姿を考えてみましょう。
もしイザナキとイザナミが使うのでなければ、そもそも天浮橋は必要ありません。地には見るべきものはまだ何も無いのですから。古事記では、二神は天神の命を受けて天降るので、橋が造られたとすれば、その時点ということになるでしょう。地に向かう二神のために神々が架けたのです。
しかし日本書紀の正文では、二神は何の指示も受けていません。下界の底の方に、もしや国はないだろうか
小-日本書紀-1-p25と言って、すぐに青海原を探りだすのです。しかも、天浮橋の上に立ってです。誰も造るはずのない天浮橋がすでにあったということになります。
二神が天浮橋を使ったのは、すでにそこにあったからという風にも見えます。誰が造るでもなく、その場にあったもの、つまり天浮橋は自然にできたものだったと考えられます。
混沌から上昇していったものが天になる際、もし途中で固まってしまったとしたら、それは天から垂れた下がった形になるでしょう。もしかすると、柔らかい天の一部が崩落して固まってしまったものがあったかもしれません(図2)。ここでは、それを天浮橋とします。天浮橋は天になれなかったものなのです。
それを使い、二神は固まりきっていない地のすぐ上まで下りました。そして、足下にある軟らかな地を天之瓊矛ですくって、オノゴロ島を創ったのです。
困難になる天降り
ただ、天地がそれほど隔たっていないとしても、天浮橋の重さはかなりのものになるはずです。上昇してくるものがこれにどんどんくっついていけば、重さはさらに増していきます。その重さに耐えきれず、いずれは落ちてしまうでしょう。もし落下を免れたとしても、天から垂れ下がったそのまわりには遮るものは何もありません。どんどん風化していくことでしょう。長い年月ののち、天浮橋は無くなってしまうでしょう。
天降りの方法は変わっていきます。「高千穂」のページや「天磐船」のページで考えたように、天降りはしだいに困難なものになっていくようです。これは、天浮橋が時とともに使えなくなっていくことを思わせます。自然にうまれて、長い年月をかけて無くなっていく、という考えを裏付けるものではないでしょうか。
生まれた疑惑
このあと登場する多くの神々によって、物語はどんどん広がっていきます。その中心となるのは、イザナキとイザナミに関わりのある神々です。
しかし、神代の物語の最後で、天神によって造られてきた世界が危うくなるような疑惑が生じます。それについては、「疑惑――ヒコホホデミの父」のページで考えています。