古典文学Graphics

古事記・日本書紀

疑惑――ヒコホホデミの父

さらに考えました

試された血統

シオツチ、再登場

 「ワタツミの宮」のページで考えたように、古事記では、ワタツミの宮は海上にあるとしてよさそうです。日本書紀では、ヒコホホデミが海に沈められるという描写から、宮は海中にあるようにみえます。

 ヒコホホデミは海に沈められた後、海底にある美しい浜に沿って進んで行き、ワタツミの宮にたどり着いたとなっています。しかし、宮が海中にあるとは明記されていません。いったんは海の中に入ってはいるものの、海底の浜に沿って行くうちに、やがて海上に出たのだ、と考えてもよさそうです。海底に浜辺があるというのは少々理解しづらいのですが、第十段一書第三には「御路」とあるので小-日本書紀-1-p175、ワタツミの宮に続く道のようなものがあったと考えてもいいでしょう。宮は潮流に守られ、海の中からしかたどり着くことができなかった、ということなのかもしれません。

 このヒコホホデミのワタツミの宮訪問には、特に問題となる所はなさそうにみえます。ただ、シオツチという神が関わっているのが、これを複雑なものにしてくるのです。

 この場面より後、シオツチは、神武天皇に大和の地を教えたとされています小-日本書紀-1-p195。またこれよりも前では、天降ったニニギの前に現れ、国を献上します小-日本書紀-1-p145。そこでは、コトカツクニカツナガサと名乗っていますが、別名がシオツチであると書かれています。

 大事な場面に登場し、天神の子孫を導いているといってもいいでしょう。今回のヒコホホデミの件も同様です。しかし、ここで重要となるのは、この神がイザナキの子であるという点です。なぜそれが重要なのか。それを知るには、ヒコホホデミの出生についてみてみなければなりません。

  • シオツチ:一書によって、「シオツチノオジ」と「シオツツノオジ」と表記が異なる。ここではシオツチに統一。
  • ヒコホホデミと兄のホノスソリは、古事記ではそれぞれホオリ・ホデリの名で語られる。ここではヒコホホデミとホノスソリに統一。

カシツヒメの誓約(うけい)

 ヒコホホデミはニニギとカシツヒメの子です。カシツヒメは結婚後すぐに妊娠しますが、ニニギに自分の子ではないのではないかと疑われます。するとカシツヒメは、産室を燃やして、その中で出産するという驚くような行動に出ます。天神の子孫であれば、火でも害することはできないだろうという誓約です。

 ニニギは日の神であるアマテラスの孫です。「アマテラスと太陽」のページで考えたように、アマテラスは太陽そのものではありません。しかし、たやすく火に負けることはないのでしょう。カシツヒメの産んだ子が火に焼かれなかったとしたら、それは日の神の力であり、同時にカシツヒメ自身の無実をも証明することになるのです。

 結果、炎の中で生まれた子たちは全員無事でした。カシツヒメの言葉を借りれば、天孫の御子であった小-日本書紀-1-p122ということになるでしょう。

 しかし、産室を焼き尽くすような炎の中で、カシツヒメはなぜ無事に出産できたのでしょうか。カシツヒメの身は、少しも損なうところがなかったのです小-日本書紀-1-p149。カシツヒメは火に耐えられる体を持っていたということになります。炎の中での出産という方法を選んだのは、自分が火に焼かれないことを知っていたからに違いありません。カシツヒメとはどのような女性なのでしょうか。

 ニニギと出会った時、カシツヒメは、「自分はオオヤマツミの娘だ」と言います小-日本書紀-1-p121。オオヤマツミについては、その場面からさかのぼった神代上第五段の一書第七にその名が記されています小-日本書紀-1-p51

 イザナキは、妻のイザナミの死の原因となった火の神カグツチを斬り殺して、その体を三つに分けてしまいます。そのうちの一つがオオヤマツミなのです。

 カシツヒメはオオヤマツミの娘です。つまり、カグツチの娘ともいえる女性ということになります。火に害されないのは当然です。

 少々不穏な空気になってきました。火の神の娘であるカシツヒメの子であれば、ニニギの血を受け継いでいなくても、火に焼かれることはないでしょう。炎の中で産まれた子はニニギの子とは限らない、ということになってしまうのです。

 「イザナミ」のページで考えたように、イザナキがカグツチを斬ったのは、地上に火がもたらされないようにするためです。しかし、火の神の血は絶えてはいなかったのです。もし、カシツヒメの子の父親が地の神だとしたら、そしてその子が天神の子孫として扱われたとしたら、それは、天神たちが恐れていた、地上からの侵略を意味することになるでしょう。

 ニニギはそれを見落としていたのかもしれません。しかし、それに気付いている神がいました。シオツチです。もし、ヒコホホデミがカグツチの跡を継ぐのであれば、シオツチは父であるイザナキの思いを引き継いで、火の神の血を絶やすための行動に出ることになるでしょう。

  • 誓約(うけい):占いの一種。これから起こることをあらかじめ決めておき、それが実現したかどうかで正邪を知ろうとするもの。

マナシカタマ(無目籠)は沈まない

 ヒコホホデミはマナシカタマに乗って、海に沈んでいきます。マナシカタマとは、「密に編んだ隙間のない籠」小-日本書紀-1-p157で、竹でできているようです。それにヒコホホデミを「入れ」となっているところをみると、マナシカタマはその中に入ることのできる構造をしているということになります。さらに、海に沈めたということから考えると、水が入らないように密閉された乗り物だとしてよさそうです。

 そのような密閉された乗り物の中が空気で満たされているのであれば、それに入って無事に海中を移動することができそうです。現実的にはすぐに酸素が無くなってしまうとは思いますが、発想としては理にかなったものといえるでしょう。

 しかし、この乗り物には大きな問題があります。密閉され、空気で満たされた、大人一人が乗れるほどの、竹でできた物体は、おそらく水に沈みません。それに乗って海中を行くことはできないのです。

 しかし、マナシカタマは沈みました。沈むはずのないマナシカタマが沈んでしまったのです。事故だったのでしょうか。第十段一書第一小-日本書紀-1-p163をみると、そうとは思えません。密に編んだ隙間のない籠で筏を作り、細縄で火火出見尊を結いつけて沈めた(火火出見尊はヒコホホデミのこと)とあるのです。マナシカタマは、あたかも釣りの浮きのように浮かんでいるだけで、それに縄でつながれたヒコホホデミだけが海に沈められたのです。

 つまり、シオツチは最初からヒコホホデミを海に沈めるつもりだったのです。ヒコホホデミがカグツチの跡を継ぐのであれば、海に沈められたとたん、火が水で消されるように、たちどころに命を落とすことになるでしょう。父であるイザナキの思いを果たすことができるのです。

天神と水

 火の神はこれで滅ぼすことができます。しかし、ヒコホホデミが天神の正統な子孫であった場合、その命は保証されなければなりません。父親が誰であれ、火の神の娘を母にもつヒコホホデミは、水で命を落とす危険性があります。海に沈めるという方法をとるためには、その危険が避けられるという確信がなければならないのです。

 興味深い記述があります。第十段一書第四小-日本書紀-1-p181で、シオツチは、ヒコホホデミをワタツミのもとに送るために、ヤヒロワニの力を借りようと考えます。

 ヤヒロワニは、自分が送っていくと八日かかるが、ヒトヒロワニならば一日で到着できると言って、ヒトヒロワニを連れてきます。なるべく早くヒコホホデミが宮に到着できるよう気をつかったようにみえます。しかし実際は、ヒトヒロワニを連れてくるまでに八日かかっているのです。それならば、最初からヤヒロワニに乗っていけばとっくに到着していたのに、と思いたくなります。

 しかし、こうは考えられないでしょうか。たとえ八日を無駄にしても、一日で着くことが優先されたのだと。もしヒコホホデミが一日しか水中にいることができなかったとしたら、その間に宮に到着するしかありません。普通の人間からすれば、一日水中にいられることだけでもたいへんな能力ですが、ヒコホホデミは天神の子孫で、国の支配者の先祖ともなる神です。そのような能力を持っていても不思議ではないのでしょう。むしろその能力こそが、支配者の資格だったのかもしれません。

 ヒコホホデミの親のニニギは、アマノオシホミミの子です。アマノオシホミミは、アマテラスとスサノオの誓約の際に産まれた神です。アマテラスの身に付けていた玉をスサノオが水ですすぎ、それをかんだ後に吹いた息から産まれたのです小-日本書紀-1-p65。水に関わりがあるのは確かでしょう。そもそも、アマテラスとスサノオも、イザナキがみそぎをした時に、海に関わる多くの神々とともに産まれているのです。

 アマテラスの血筋が水に関わりの深いことは明らかです。そして、それこそが火の神との決定的な違いとなります。

 シオツチの計画はたいへんに巧みなものだったのです。もし、ヒコホホデミが正統な天神の子孫でなければ、そのまま死んでしまうでしょう。しかし、支配者に相応しい力を持っていれば、溺れることなく、ワタツミの宮までの道を見つけて、無事にそこにたどり着くことができるはずです。

  • ヤヒロワニ(八尋鰐)・ヒトヒロワニ(一尋鰐):ヒロは両手を広げた長さ。ワニはサメのこと。

マトコオウフスマの行方

 もし、一日水中にいたとしても、それだけでは天神の子孫の確実な証しとはなりません。ヒコホホデミの父親がニニギでなかった場合、本当の父親の素性は不明です。もし水に関わりの深い神だとしたら、ヒコホホデミは水の中でも生き延びられるかもしれません。

 シオツチはもっと確かな証拠が欲しかったはずです。ヒコホホデミをワタツミの宮に行かせた理由はそこにあったのでしょう。ワタツミには、それを証明する手段があったのです。

 何を根拠にワタツミがヒコホホデミを天神の子孫だと考えたのかをみてみましょう。第十段一書第四には、ヒコホホデミの行動がこのように書かれています。

外に近い床では両足を拭き、中の床では両手を押し、内の床では真床覆衾の上にあぐらをかいてゆったりと坐られた小-古事記-p183

 この行動が、まさに天神の子孫であるとワタツミに確信させたのです。が、それぞれがどういう意味を持つのかはわかりません。しかし、マトコオウフスマは確実に天神と関わりのあるものです。

 マトコオウフスマとは、ニニギが天降る際に身に付けていたものです。経緯は不明ですが、それがワタツミのもとにあったのです。その上にあぐらをかけるのは、天神の子孫だけだということなのでしょう。

 おそらく、シオツチはワタツミ側と連絡をとっていたのでしょう。ワタツミの子が、天孫が海辺で悲しんでおられるというけれども、本当でしょうか小-日本書紀-1-p175と言ったという記述からそれがわかります。その情報はシオツチが伝えたものでしょう。

 シオツチはワタツミの力も借りて、ヒコホホデミが天神の正統な子孫だということを証明しました。それは、カシツヒメの無実を証明することにもなりました。さらに、イザナキや天神たちの恐れていたような事態になっていないことをも明らかにしたのです。結果的に、地上の火の神の娘をニニギが妻としたことによって、再び火を天の支配下におさめることができた、それが確かめられたのです。

  • マトコオウフスマ:真床追衾。真床覆衾とも書く。赤ん坊をくるむ衣類。

支配者は誰か

 ワタツミの宮から帰ってきたヒコホホデミは、釣り針を無くしたことで兄のホノスソリから責められたその報復をすることになります。ワタツミから譲り受けた玉で兄を苦しめ、服従させるのです。その様子はといえば、少々きびしすぎるようにも思えるものです。

 おそらく、これもシオツチの計画の一部なのでしょう。ヒコホホデミが支配者にふさわしいことを確かめた後、ホノスソリがその座につかないように、ワタツミと協力したのです。ホノスソリはヒコホホデミほど能力が高くはなかったのでしょう。

 ここで一つの疑問が生じます。ヒコホホデミがニニギの子である以上、同じ時に産まれたホノスソリもニニギの子であるのは間違いないでしょう。つまり、どちらも支配者になることのできる立場にあるのです。だからこそシオツチは、ホノスソリをヒコホホデミに服従させるよう手を打たなければならなかったのです。そのような立場にある二神が、なぜ、狩や漁をして暮らしているのでしょうか。

 ヒコホホデミの孫は、のちに神武天皇となり、その神武天皇は、十五歳の時に皇太子になったとあります小-日本書紀-1-p193。つまり、神武天皇の親も天皇と同等の立場にあったということになるでしょう。

 神武天皇の祖父であるヒコホホデミがその立場になったとは書かれていません。しかしその死を崩りましぬ(かむあがりましぬ)小-日本書紀-1-p161と天皇の崩御と同等に記されていることから、天皇と同じに扱われていることがわかります。

 おそらく最終的には、ヒコホホデミは支配者になったのだろうと思われますが、日本書紀に記された物語の中では、とてもその立場にあるようには思えません。

 では、この時点での支配者は誰だったのでしょうか。

 振り返ってみると、ヒコホホデミとホノスソリは、二人だけの兄弟ではありません。正文では、ホノアカリという神が一緒に生まれているのです。おそらく、そのホノアカリが支配者の立場にあったのでしょう。ヒコホホデミとホノスソリは、何らかの事情で、政治から離れていたということになります。

 しかし、ホノアカリの政権は長くは続きませんでした。跡継ぎがいなかったのかもしれません。そこでヒコホホデミがその座につき、それ以後はその子孫達が支配者の立場を継いでいくのです。

最後の物語

 上下二巻にわたって繰り広げられてきた神代の物語は、このヒコホホデミのもので終りです。この後は、神武天皇の皇統譜があるだけで、物語はありません。

 ヒコホホデミの物語は、神代の最後にふさわしく、それまでに出てきた様々な要素がひとつにまとめられたものだといえます。天神の子孫は、天神と海神の血をひき、水と火にも負けない比類のない存在となり、次の神武天皇へと続いていくのです。