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古事記・日本書紀

イザナキ・イザナミ、オノゴロ島に降り立つ。

国生み以前

オノゴロ島に降り立つ。
二神は島を産んだのか。

 神々は天の下に広がる国を治めるよう、イザナキとイザナミに命じた。そこは“豊葦原千五百秋瑞穂(とよあしはらのちいほあきのみずほ)の国”と呼ばれる場所であった。自らが創造したオノゴロ島に降り立った二神は、このあと国を治めるために次々とシマを産むこととなる。日本書紀 巻第一 神代上 第四段 一書第一小-日本書紀-1-p29

画像について

 イザナキとイザナミのいる白い島がオノゴロ島です。左に広がる土地は、まだ固まりきっていない瑞穂の国です。その様子を見に行こうと二神が歩き出したところです。

 まだ低い位置にある天からは、天浮橋(あまのうきはし)が垂れ下がっています。二神が使ったものよりもはるかに大きなものですが、地に降りるためには使えそうもない形です。それらはやがて風化したり、自らの重みで落ちるなどして無くなってしまうことでしょう。

 世界の形はどんどん変わっていきます。世界はまだできたてなのです。

こんな風に考えました

なぜシマを産んだのか

国はすでにあった

 日本書紀の第四段の一書第一にある記述をもとにしました。

 これは少々変わった内容をしています。正文や他の一書では、オノゴロ島が一番最初の島となっているようですが、この一書では、二神がオノゴロ島を創る以前からすでに国が存在しているのです。

天神が伊奘諾尊・伊奘冉尊に語って、「豊葦原千五百秋瑞穂の国がある。あなた方が行って治めなさい」と仰せられて、ただちに天瓊戈をお授けになった。小-日本書紀-1-p28

 イザナキとイザナミはこのあと夫婦となり、いくつもシマを産みます。しかし、国はすでにあります。島や土地をさらに追加する必要はなさそうです。なぜシマを産んだのでしょうか。

国を治める

 そこで、「治めなさい」という記述に注目してみます。原文では“脩”で、解説小-日本書紀-1-p28によると“修”と同じとあります。“修”を安定し整った状態にすることと考えれば、ここでは国をきちんとした形に整えるという意味になるでしょう。

 天地は混沌から生まれました。地はまだ固まりきっていないのです。二神はオノゴロ島を潮から造り出すことができました。その力を使って国を造るように命じられたのです。

シマ達の役目とは

 二神だけで広範囲にわたって地固めをするのはたいへんなことです。そこでシマと呼ばれる子を産んで、それを任せたのではないでしょうか。二神が産んだのは土地ではなく、その土地を固め、治める者たちだったのです。

 古事記にはシマに顔があると書かれていますし、日本書紀には足があることを思わせる描写があります。どうしても人の姿をしているような印象を受けます。

 シマを土地を整えた者たちと考えると、イザナキとイザナミが産んだという記述の無い地方が後になって言及されるのにも納得がいきます。地はシマがいなくてもやがて固まります。そこは、シマが直接固めていない場所、治めていない場所というだけで、存在はしているのです。

図
 地固めをするシマ
うしろの方はすでに固め終えたようです。

そこまで大きくはない

 イザナミが産んだとされるシマには四国や九州も含まれます。これをそのまま島とすると、イザナミの体はとてつもない大きさということになります。本州をしのぐほどの大きさといえるでしょう。またイザナキも、イザナミと顔を見合わせて話をしているようなので、その大きさはほぼ同じだと考えられます。

 信じられない大きさです。そんな本州を超える大きさの神々がいては、物語が成り立たなくなってしまいます。二神はそこまで大きくはなかったはずです。島や土地を産んだと考えるのはやはり無理がありそうです。

オノゴロ島の場所

 国造りが全て終わった後、オノゴロ島はどうなったのでしょうか。

 もともと、青海原に差した天之瓊矛(あまのぬほこ)の先から落ちた潮が固まってできた島です。いずれ水に溶けてしまい、いつまでもそこに存在し続けるのは難しそうです。

 仁徳天皇が淡路島からオノゴロ島を眺める場面が古事記にあります小-古事記-p289-290。その時代には、オノゴロ島は淡路島のそばにあったのでしょう。しかし、今はどこにあるのか特定はできないようです。無くなってしまったと考えた方がいいのかもしれません。

 オノゴロ島ができてから、長い長い年月が経っています。アマテラスの孫のニニギが降臨してからでさえ、180万年近くが過ぎているのです。オノゴロ島ができたのはそれよりも前のことです。それほどの長い期間、潮でできた島がその場にあり続けたのは奇跡的ともいえるでしょう。

 もしかすると、オノゴロ島を潮からできたとしたのは、古事記や日本書紀が書かれた時点でオノゴロ島がすでに無いことを説明したものなのかもしれません。